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My Candle Life

2021 AUTUMN ISSUE.0

火を灯せば、自然と共に生きていることを
あらためて愛おしく感じることができる

Showcase
一色 紗英 Sae Isshiki

自然と共に生きるようなライフスタイルを大切に、海のそばで暮らしている一色紗英さん。
彼女にとっての“My Candle Life”について、お話をお聞きしました。

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“ハレ”にも“ケ”にも欠かせないキャンドルを灯す習慣

あらためて思い返してみると、何気ない暮らしのさまざまなシーンにキャンドルの灯りがあることに気づきます。
特別なディナーの時にダイニングで灯したり、ゆったりとした雰囲気の中で寛ぎたい時に寝室やバスルームで灯したり。
直感的に気の流れを整えたいと思う場所に置くこともあれば、来客時におもてなしとして玄関で使用することもありますね。
日常的に使っているものは、形や大きさ、色彩もいろいろですが、色もやさしい印象で炎とナチュラルに調和してくれる
アースカラーのものや、身体にもやさしいと言われているソイワックスやミツロウで作られたものを
選ぶことが多いかもしれません。

火を灯して、意識にも身体にも 1 日の終わりを知らせる

我が家では、子どもとの生活の中でもキャンドルを使うことが自然でした。
例えば、夜は徐々に照明を暗くすると共に、
1日の終わりを知らせるようにキャンドルに火を灯します。
そうすると、やわらかな炎によって心が鎮まって、スムーズに寝ついてくれるのです。
本来なら、日が暮れたら人は徐々に身体も眠りに向かっていくはずなのですが、
現代では照明によって夜でも明かりに照らされるので、子どもたちは知らず知らずのうちに
覚醒して眠れなくなってしまいます。
キャンドルで「もう眠る時間ですよ」と身体にも
お知らせをすることで、スムーズに眠りに導くことができるというわけです。

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明かりのない不便な環境が、大切なことを教えてくれた

若い頃、バックパックでインドとネパールを旅したことがありました。
当時、それらの国では夜になると電気が止まってしまうので、
キャンドルの灯りと月明かりだけで日が暮れてから眠るまでのひとときを過ごした経験があります。
人工的な光がない光景は、本来の夜の静けさを教えてくれましたし、明かりを満足に使えない不自由さが、
新たな視点をくれました。
LEDの普及やオール電化など、文明の発達によって、本来の価値が失われていくこともあるように感じています。
情報が溢れる時代ですが、自然と共にあることを忘れずにいたいですし、
子供たちにも大切なことを見落とさないでほしいと願っています。

心も解れやわらかくなる、自然を身近に感じる原始的な行い

小さなお子さんがいるご家庭や乾燥する土地では、火の扱いには十分に気をつける必要があります。
しかし、キャンドルや焚き火、囲炉裏など、電気照明にはない炎の色や音や揺めきは、
私たちの五感に働きかけてくれる感覚がありますし、どんな形でもそのような火を家族や仲間と囲むことで、
緊張の解れたやわらかな心でコミュニケーションを取ることができるような気がしています。

火は地球の4元素のひとつ。キャンドルを灯すことは、そんな火を通して自然を感じ、
自然との共存を大切にするための、身近でシンプルな行いだと思うのです。

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    お風呂や眠る前の安らぎのひとときには、やさしいアースカラーのキャンドルに火を灯してリラックス。ひとつ一つ手作業で木の風合いを再現した「ウッディーピラーキャンドル」は、使うほどにぼんぼりのような柔らかな灯りが楽しめます。左)ウッディーピラー3.25×6インチ ¥2,640(税込) 右)ウッディーピラー3.25×3インチ ¥1,430(税込)(カメヤマキャンドルハウス)

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    ガラスの容器に入ったアロマキャンドルは、玄関にも置きやすいので、来客の少し前に灯すのもおすすめ。ふんわりとやさしい香りが漂って、玄関の扉を開いた瞬間から、お客様を癒し笑顔にしてくれます。香りは目には見えませんが、インテリアの一部でもあります。アロマキャンドルは、空間づくりにも一役買ってくれるアイテムです。

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一色 紗英

1977年東京都生まれ。クラシックバレエに通うところをスカウトされ13歳で芸能界デビュー。映画『蔵』では、数々の新人賞を受賞。創られる側ではなく創る側に興味を持ち、20歳でアパレルブランド「ARCHI」を立ち上げる。出産を機に自然に寄り添う暮らしを実践し、震災後はカリフォルニアへ移住。現在は、葉山に拠点を置きセレクトショップ「SHOP GIBBOUS」とオリジナルブランド「ARCHI」のディレクターを務める。
https://archi.nu

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©️TOKYO TOWER

1994 年頃よりキャンドルを独学で制作し始めて、活動ネームをCANDLE JUNEとした
自分のために作り灯すことは、自分の寿命を自ら作り、燃焼することは生きる意志とした

2001年、ダライラマが提唱する世界平和のための祭典が開かれた広島で「平和の火」を灯した
その火には「戦争や核兵器廃絶」という強いメッセージが与えられ消されることがない火

それでも自分は
セレモニーが終わったら消すことにした。
火を灯し続けることより、広島や長崎、沖縄を訪ね、
かつての戦争を自分ごとにして、戦争や核兵器がない世界を作ること、そしてその日をむかえたら
広島で灯され続けている平和の火を消すという事が、自分の仕事にすると勝手に思い込んだ

あれから20年、その使命は果たせていないものの、キャンドルを灯す旅は続いている
だれが戦争を、核兵器を作り出しているのだろう?

専門家に聞けばそれなりの答えがあるが、自分はこう考える
世界中の一人一人が実は
「人が生きている以上、戦争は終わらない」という答えを心のどこかに持ち続けている

そしてあれのせい、これのせい、とだれかの、何かのせいにする

たくさんの情報に溢れている都会に生きる人たち
「なにかのせい」にして頭の中の整理に追われる人たち
「一般的な人」たちの流れからはみ出すことを恐る人たち

当事者意識がない多くの人たちが作り出す世界

悲しみが生まれた場所を灯し続けてきたが
その場所には「自ら生きる」という強い意志を持ち、立ち上がる人々が多く生まれている

「生きること」に悩める時代や国は、ある意味では平和だ
全てが揃っている都会は便利なもので溢れていて、必要がないものは捨てられる
オール電化で便利なこの世界の生活の中にキャンドルは必要ないなのかもしれない

でもそんな世界にこそ自分の灯す平和の火は必要なのではないかと思う

先日、ピースデイというイベントでキャンドルを灯して欲しいと依頼をもらった
その場所は、東京タワー

これまで東京タワーに登ったことがなかった私は、展望台で流れている映像をみた
戦国時代から江戸が生まれ、大火事や様々な災害、そして戦争をへて今の東京があり
復興のシンボルかのように出来上がった東京タワーの歴史を知った

この映像を見なかったら
電波塔の役目を終えた東京タワーは、もう必要ないものだと思っていたままだったのかもしれない

でも、東京タワーが光っていることで、たくさんの元気をもらっている人は少なくないはずだ
東京タワーは、電波を飛ばす以上に人々の想いを集めたり、心を明るくしてくれているのではないか

「ヨーロッパでは生活のなかにキャンドルがあり、お洒落でかっこいいけど、日本では仏壇とかのイメージだよね」
キャンドルを作ってきた中で、これまでよく言われ続けてきた言葉だ

でも、自分は思う
祈るための道具が生活の一部にあることは素敵ではないか
そこにはもういない人とつながるための道具。想いを伝える道具であるキャンドル

風がふいても雨が降っても、東京タワーはいつも光っていてくれる
キャンドルは、風や雨にはとても弱い
気をつけなければ火事にもなる。でも、だからこそ人の手や工夫、そして注意深くあることが必要であり
ようやくその光を守ることができる。弱々しかったり、時に強かったり……まるで人間のようだ

2011 年の東日本大震災後から東北に通い続けている

当時の被災地は真っ暗で、とくに津波被害地域は壮絶な光景と夜にはそこにいられない怖さすら感じた
当初は東京も節電となり多くのネオンが消えていたが
まだまだ被災地が大変な中でも、あっというまに「経済をまわすことの復興」という名のもとに
東京に夜の光が戻っていった。色々と思うところがあったが
それでも東京タワーが見えるところまで帰ってくると
なんとも言えない安堵がこころを満たしてくれていたように思う

いまだに毎月11日は福島でキャンドルナイトを続けているが
東京タワーの歴史映像をみてからは、福島からの帰りに見る東京タワーの姿はこれまでと違うものとなった

わずか3時間ほどの車の旅でも、東京と被災地にはたくさんの違いがあり
そしてわずか3時間の距離でも支援の難しさを歯痒く感じてしまう

それでも
何度苦境に立たされても
何度でも人は立ち上がり、助け合い、そして光を取り戻す
そんな象徴のようにみえる東京タワーの光が自分の背中を押してくれる

街は一人では作れない。様々な価値観の人がいてこそ豊かな街になる
たとえ悲しみを知らない人たちばかりだったとしても
この街を作ってきた人たちの想いが灯されている東京

私はこの街に暮らしていることを誇りに思い、そしてこれからも悲しみが生まれた場所に灯しにいく

自分の暮らしている街と被災地は別の場所であることはたしかだ

それでも
そこに仲間や家族のような人たちが暮らしていると思えば
どこに線を引けばいいだろうか

自分のための火を灯す
正しい場所で正しいときに

いつしかこの世界中の悲しみが
すべての人の自分ごとのようになり
それぞれのちいさなひとつのできることで支え合うことができれば
悲しみは喜びへと変わり

新しい世界の形へと進化していくことだろう

その日を迎える時まで私は灯し続ける

マイキャンドルライフ CANDLE JUNE

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CANDLE JUNE  アーティスト / フィールドデザイン / ディレクター

1994年、キャンドル制作を始める。「灯す場所」にこだわり様々なフィールドで空間演出を行い、キャンドルデコレーションというジャンルを確立。2001年、原爆の残り火とされる「平和の火」を広島で灯してからは「Candle Odyssey」と称し、悲しみの地を巡る旅を続ける。2011年、東日本大震災を受けて「一般社団法人LOVE FOR NIPPON」を発足し支援活動を始める。月命日の11日には、毎月福島各地でキャンドルナイトを行い、3月11日には「SONG OF THE EARTH 311 FUKUSHIMA」を開催。

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